ピアノは楽器の王様と呼ばれていますが、開発された当初はピアノという名前ですらありませんでした。チェンバロという楽器から派生して生まれたピアノは、段々と改良を重ね、世界中で認められる楽器となりました。特に、19世紀になって開発された鉄骨やワイヤーが活用されるようになり、今のように音の響く楽器へと進化しました。広い音域を出すことができるという特徴、そして両手を使って、そして複数の演奏者が弾くことができる点、同時にいくつもの音を重ねる和音が出せるという点が、ピアノが楽器の王様と呼ばれるほど人気となった所以と言えるでしょう。
ピアノがいつ生まれたか知っているかご存知の方は意外と少ないのではないでしょうか。1700年代初頭、イタリア人の楽器製作者によって、チェンバロという楽器の派生として生まれました。名前をクラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテと言いました。爪で弦を弾く方法からハンマーで弦をたたく方法へと変化し、19世紀となって生み出されたミュージックワイヤーや鉄骨を用いることで現代のピアノへ進化しました。現代ではピアノで演奏されることが多いバッハの楽曲ですが、その時代にはピアノが存在しなかったため、実はチェンバロのために作られています。
ピアノと聞いて思い浮かべるのは白を基調とした鍵盤に黒塗りのピアノではないでしょうか。1700年代に開発されたピアノは黒塗りではなく、木目調のものでした。鍵盤こそ今と同じ白を基調としたものでしたが、全て木で作られており、変色を防ぐために鍵盤の白と黒を入れ替えたピアノが製作された時代もありました。外装の色は、1800年代初期にドイツ人医師によって日本に持ち込まれた後、日本の各地に広まったピアノは雨と湿気の多い日本の気候に合わせるために漆で黒に塗り上げられ、以降黒いピアノが世界中に広まったという噂も残っています。様々な改良がなされて今のピアノの形になったのですね。
どんなピアノにも足元には3本のペダルが取り付けられていますが、真ん中にあるペダルに関しては「1度も使ったことがない」という人は多いでしょう。しかし、せっかくピアノを演奏するなら、それぞれの違いを知っておいて損はありません。
ピアノのほとんどは鍵盤数が88鍵です。それ以上のピアノもありますが、鍵盤数が多いほどピアノ自体の幅も広くなり、運び入れられないなどのトラブルが発生します。なお、音を発生させる弦は鍵盤の約3倍もの本数が取り付けられています。
「鍵盤を押すと音が鳴り、鍵盤を離すと音が止まる」。当たり前のように思われているピアノの音は、アクションという内部機構によって実現しています。レペティション機構が発明されたことで、連打時にもきちんと音が出るようになりました。
ピアノにカバーをすることで、ホコリによる汚れを防いだり、おしゃれさをプラスしたりすることができます。しかし、厚手のカバーを掛けたままにしておくと、湿気がたまりやすくなり、カビや害虫発生の原因になってしまう可能性もあるため注意が必要です。
消音ユニットを設置すれば、ヘッドフォンやスピーカーから演奏音が流れてくるようにすることが可能です。ご近所に配慮するという意味ではとても役立つアイテムですが、鍵盤のタッチに違和感が生じるなどのデメリットもあります。
大きなピアノの音がそのままご近所に響かないようにするためには、空気音対策と個体音対策の両面から考える必要があります。また、防音のためにあまり予算をかけられない場合には、身近な道具を使って防音DIYで対処することも可能です。
地震大国ともいわれる日本において、耐震対策はとても重要です。ピアノにおいてもそれは同様です。設置場所に問題があれば変更したり、耐震対策用のアイテムを利用したりするなどして、備えておくようにしましょう。
内部に220~230本もの弦が張られていることから、弦楽器のようにも見えるピアノ。しかし、ピアノはその構造上、打楽器に分類されることをご存知でしょうか。打楽器と言われる理由について詳しく解説しています。
世界には、2階建ての建物ほどの高さを持つ巨大なピアノや卓上に乗るほどコンパクトなグランドピアノが存在します。その製作者や音色に関する情報についてまとめました。ピアノのトリビアのひとつとして、ぜひチェックしてみてください。
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スプルースやカエデ、ブナなどが、ピアノの材料として使われることが多い樹木として知られています。安定的な供給を求め、外国からスプルースを調達しているメーカーもあります。響板にはスプルースが適していますが、ピアノの部位によって採用される木材は異なります。
世界三大ピアノメーカーが製造するピアノは高価なものが多いですが、それよりも高い値段が付いたピアノもあります。それがハインツマンのクリスタルピアノです。競売にて約3億円で落札され、その後、北京オリンピックでも披露されました。